叔母と城崎温泉へ~「ご一緒に!」その一言が笑顔に繋がった日~
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/01/IMG_5143-884x600.jpg)
城崎温泉に家族旅行
昨秋、長岡京市に住む私の叔母家族が、叔母の故郷の但馬へ10年ぶりに揃って来てくれました。
高齢の叔母、叔父、息子さん2人との家族旅行でした。
この旅行の計画は、私にとって、初夏に叔父から電話がかかって来た日に始まりました。
コロナ禍も収まり、ようやく念願だった叔母の里帰りが実現できるとのこと。
「息子達が予定を合わせて、車で連れて行ってくれます」
「彼岸のお墓参りと、城崎温泉にも行きたくてね」
「城崎に泊まりたいけど、部屋にお風呂が付いている所でないと、泊まれないんです」
城崎温泉は、外湯めぐりといって、街にある温泉施設に行くのが特徴になっています。そのために、旅館、ホテルの部屋に必ずお風呂があるとは限りません。
「叔父さん、泊まれる部屋が限られるかもしれないです。予約が取れるかな、どうでしょうか」
と答えると、叔父が叔母について
「1人で外湯に行けないと思うんです。旅館の大浴場でも無理かもしれない」
と話してくれました。
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/02/IMG_2659-1-1024x683.jpg)
叔母と私
叔母は、私の母の妹です。
私が小さい頃、洋裁教師をしていた母に代わって、独身だった叔母が私の面倒を見てくれていました。
いつも私の手をひいて、豊岡の街を散歩してくれていたそうです。
今、70代になり、1人では新しい場所に行くのが不安になっているとのこと。
普段は、住み慣れた自宅で叔父と2人、穏やかに暮らしている叔母。
私でも新しい場所に行くのは戸惑うから、それは当然だよね…。
そうか、男性ばかりだと、外湯には付き添えないのか…。
それで、部屋のお風呂でないと入れないってこと?
え?待って、私がいるじゃない!
「叔父さん、私、叔母さんと一緒に外湯に行けますよ。だから部屋にお風呂が無くても大丈夫です。せっかくだから外湯に行きましょう。ご一緒に!」
叔父が
「え?本当に?それはとてもありがたい」
と、言ってくれました。
その後インターネットで、風呂トイレ付きの旅館の部屋を見つけ、予約ができました。
これで、もし体調が悪くなっても大丈夫。叔母達と会える日が近づいてきました。
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/02/2023.09-sazu1-1024x684.jpeg)
叔母家族と再会
お天気に恵まれた、お彼岸の午後。
久しぶりに出会えた叔母家族は、何年経っても変わらぬ笑顔でした。
東京から帰省した次男が、大阪に住む長男と共に、両親を車で故郷に連れて行くという、心温まる家族旅行です。
仕事で忙しいスケジュールを調整しての旅行。息子さん達の深い思いやりに感心しきりでした。
ご両親を急かすこともなく、穏やかに旅を楽しんでいるご様子です。
香住のお墓に私も一緒にお参りし、後で再び城崎の旅館で合流することになりました。
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/01/A1DED196-F5DC-44F2-B445-E83FE8A4B81F-1024x684.jpeg)
さぁ、外湯へ
旅館では、部屋まで私が入っても構わないとの配慮があり、とても助かりました。
部屋に入ると、叔母が不安そうにしています。
「叔母ちゃん、私がお風呂に行きたいから一緒に行こう!」
「食事までに時間があるから大丈夫」
そう言うと、叔母の表情がだんだん明るくなってきました。
旅館のカゴにタオルを入れて
さぁ、外湯へ出発!
温泉街を歩いて「一の湯」へ。
実は私も、ここに来るのは30年ぶりでした。
うまく行くかな…。
温泉施設は脱衣室までスロープが続き、手すりもありました。これなら一安心です。
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/02/IMG_4796-1024x735.jpg)
温泉っていいな
叔母と外湯を楽しむ際に、私が気をつけていた事があります。
これから起こることを予測して、叔母に伝え続けていたのです。
「もう少ししたら、右に曲がるよ」
「もうすぐスロープがあるよ」
「あと少しで、手すりを持ち替えよう」
これは、母と車椅子で出かける時に心がけている事です。
こうすると、母も私も心の準備ができて、突然の動きにびっくりする事が無くなります。
叔母にも、これがとても有効だったようで、落ち着いてお風呂に入る事ができました。
半露天の洞窟風呂では、「あー良いお湯だね」と、ゆっくり浸かることもできました。
着替えは、声をかけても、なるべく手は出さないことを心がけました。
帰りには外湯の玄関前で、スマホで2人の記念写真も撮りました。
さぁ、帰りは手を繋いで、叔父達の待つ旅館に戻ろう!
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/02/IMG_4798-3-1024x910.jpg)
旅館に戻って
食事の始まる10分前には無事に旅館に戻る事ができました。
部屋に入ると、待っていた叔父の顔が、パッと明るくなりました。
「良いお湯だったわ〜」と叔母が言い
「あぁ、顔を見たらわかる」と叔父が笑顔で応えました。
息子さん2人も戻り、みんな良い表情です。
外湯前で撮影した写真を見せると
「お母さん!イキイキしてる!」と大好評。
叔母は、ホクホクの笑顔になって、また一緒に写真を撮りました。
翌日は、実家に泊まってもらい、私の母との再会の時間がもてました。
久しぶりに出会えた姉妹。
その様子を見ていた私にとっても、しっかりと心に刻まれる出来事でした。
春になったら、また他の外湯にも行こうねと約束して、たくさんの思い出と共に家路につかれました。
![](https://toyonico.jp/wp-content/uploads/2024/02/DF4A6AC5-D5C4-4CE5-8F8A-D26DF5AC57B9-1024x714.jpg)
心を一歩、前に進めて
今回の家族旅行のお手伝い。
叔父から電話がかかってきた時に、私が外湯に一緒に行く提案をためらっていたら、叔母の素敵な笑顔は見られなかったかもしれません。
そう考えると、本当に良かったなぁと思っています。よく知っている叔母なので、迷うことなくサポートできました。
叔母の笑顔に繋がったこと。それは私が「声はかけてもなるべく手を出さない」ようにしていたからなのでは?と感じています。
それで叔母が「私もできた。楽しかった」という達成感を持ち、嬉しい気持ちになったのではと思います。
これは母と義母のサポートをするうちに自然と学んだことでした。なんでも手を貸していると、本人の意欲も体力も衰えて行くのです。
「まだまだ自分でできるよ!」という気持ちが、とても大事だと思っています。
もちろん「数十年の時を経て一緒に街を散歩できたこと」
それが叔母と私、2人の笑顔の元になったのは、言うまでもありません。
私も嬉しくて楽しい1日でした。大切な思い出になりました。
今回の経験で「ご一緒に」の一言は、
誰かの「できた!楽しかった!」という笑顔に繋がるかもしれないと知りました。
いつでも心を一歩、前に進めて
「一緒にやりましょうか?」「サポートしましょうか?」と言えるように。
そして誰かと私の笑顔が、これからもっと増えていくと良いなと思っています。
..................
~事務局からお知らせ~
ページの下部にコメント欄があります。
記事の感想やライターに書いてほしい記事の内容など、お気軽にコメントくださいね!
★非公開での困りごとの相談や、とよニコへの掲載依頼・情報提供などは「お問合わせ」からご連絡ください。事務局より個別にお返事させていただきます。
コメント