なんでも触ってしまう子ども
私のADHD少年時代は、気になるものがあれば全てを触っていました。
それが誰かのものであろうがなかろうが、見たもの全てをとりあえず触ります。
例えば、友達の家に行ったとします。玄関から入り、玄関から出るまで、家にある見えるものすべてを触ります。
状況を独り言にしてみるとこのような感じです。
「これなんだろう。(手に取る)なーんだ、消しゴムか。(置く)」
「おっ、これはなんだろう。(手に取る)なーんだ、スプーンか。(置く)」
「あっ、これはあれだな!(手に取る)鉛筆!(友達に対して)ねー僕も鉛筆おうちにあるよー。でもねー、(無意識にどこかに置く)ボールペンはあまりないんだけどねー、おっ、これはなんだろう。(手に取る)なーんだ、椅子かぁ。座ってみようかなー。」
前回のエピソードで、ADHDの子どもは「抑制」がうまくできず、
「心 → 抑制 → 発言」ではなく「心 → 発言」となっていると紹介しました。
今回のパターンだと「心 → 行動」ですね。
一般的な子どもだと、見て気になったとしても、それが誰かの物だと触らないという「抑制」ができます。
しかし、私の場合は誰かの物だと知っていても触ることを我慢することができませんでした。
「見りゃわかる」ようなものでも触らないと気が済まなかったのです。
もちろん、周りの大人からよく𠮟られましたが、
触りたいのに触らせてもらえない状況になると、触ることにさらに執着をしました。
よくあったのは、触らせてもらえない → 怒る → 隙を見て触る → 隙を見て触る → 隙を見て触る。
一度触れたらよかったものでも触らせてもらえなかったことで何度も触るといった変な執着を発揮しました。
このような行動から私なりに改めて考えてみると、私のようなADHD少年は
「ブレーキ(抑制)を踏まない」のではなく「ブレーキが搭載されていない」に近いように感じます。また、
「ブレーキがないから代わりにブレーキをかけようとすると反発でアクセルをさらに踏み込む」傾向にあったのかなと思います。
もし、皆さんの周りになんでも触る子どもがいたら、「この子にはブレーキがない」と割り切ってもらったほうがいいのかもしれません。ない機能をその場で搭載させることはできません。
しかし、ダメなことをダメだと言うな、ということではありません。
「これはあの人のだから触ったらダメなんだ。だけどこれならさわってもいいよ!」
といったように関心を違うものに向け、小さなブレーキをちょっとずつ踏ませながらさらにアクセルを踏める状況を作ってあげてほしいのです。
子どもの興味関心にブレーキなんていらない!大人が子どもに合わせられる世界になればいいなと願います。
次回予告
「1人のADHDの子どもは10人の子どもに等しい」と言われます。私自身もADHDかもしれないと診断?された7歳の娘がいますが、10人を相手にしているんだと思いながら接しているとさほどストレスを受けなくなりました。次回は13人?もしかしたら22人?の子育てをする私の日常を書きたいと思います。
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