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不器用な祖父がくれた「美しい」時間

先日、ずっと数学を教えてくれていた祖父が空へと旅立ちました。

頑固で気難しく、不器用な祖父でしたが、クリスマスにはクリスマスチキンを、お正月にはおせちを作って配達してくれました。
夏休み、母が家にいない時間帯には祖父が来てくれて、ご飯を一緒に食べに行ったり、おやつを買ってもらったりしました。


数学の先生だった祖父は、どう頑張っても数学が苦手だった私に、懲りずに毎週教えに来てくれました。
教えてもらっても良くならない成績を見て、何から教えてもらったらいいのか分からなくなるのは毎週のことでした。

しかし、数年前に祖父が胃がんを発症し、私が高校に上がると同時に毎週の数学時間もなくなりました。

食欲が落ちたり、歩くことがしんどくなった頃から、母が毎晩、ご飯を届けるようになりました。

私はなかなか行けなかったのですが、たまに行くと、体力や食欲は落ちていても、いつも通りの祖父がいることに安心するのと同時にこんな風に会えるのも限られてくるんだという不安と覚悟の気持ちが混ざるようになりました。

 

祖父が亡くなる2か月前、祖父が入院することが決まり、当日は私も同行しました。

体力が落ちていたので病院内は車いすで移動するようになってから、何度か通院の日も同行しました。

部屋で祖父の着替えを手伝っているとき、あんなにがっしりしていた祖父がすごく痩せていることを知りました。

寒がりでいつも服を着こんでいたから気づかなかったのですが、お腹はくぼみ、腕は私よりも細くなっていました。

 

それから毎日お見舞いに行き、一緒にテレビを見て、祖父の愚痴を聞いて帰る日々でした。
入院しても頑固な性格は変わらず、何度もベットの高さや体の位置まで細かく調整しました。

それでも、どんどん痩せていく祖父を見ていると、もう時間がないことは目に見えていました。
毎日帰るときは、「また明日」がないかもしれないという不安でいっぱいでした。


言っていることもよく分からなかったり、聞き取れなかったりすることは日常茶飯事でした。
そんなときの私を救ってくれたのは鹿児島の介護施設での経験でした。
どうしたら楽に移動できるのか、トイレに連れて行ってあげるときはどこを支えてあげるのがいいのか、意識が混乱しているときの接し方など助けられた場面が多々ありました。
家で母と相談し、実践して自分にも祖父にも負担なく、接することができるように試行錯誤しました。

しかし、日に日に衰弱する中、意識がもうろうとしているときやお見舞いに行っても寝ていることが増えました。

祖父が亡くなる1週間前、急に祖父が「起きる」と言い出しました。そのころにはもう歩くことすら難しくなり、トイレも行けなくなっていました。
起きて何をするわけでもなく、ただベットの上であぐらをかいて座っていました。

いつもしんどそうにしていた祖父の姿が鹿児島の介護施設でいつもしんどいと言っていたおばあちゃんと重なりました。そのおばあちゃんがマッサージで嬉しそうにしているのを思い出し、もしかしたら私にもできることがあるのかもしれないと思いました。
瘦せ細った祖父の体のどこをどんなふうに触ってあげたらいいのか手探りながらもマッサージを続けると、それまでしんどくてよく体を動かしていた祖父が30分間一度も動かず、一言も喋らず、じっとしていました。

肩や腰など、がちがちに固まった体はなかなかほぐすことはできませんでしたが、それでもマッサージが終わった後に穏やかな顔でぐっすり寝る姿を見て、やっと自分にできることを見つけた気がしました。

次の日、お見舞いに行くと、また祖父が「起きる」と言い出しました。
昨日と同じ体勢でまるで私のマッサージを待っているようでした。私がマッサージを始めると下を向いてじっと座り、終わるころには座ったまま寝るようになっていました。

祖父が「起きる」といった日は必ずマッサージをしようと決めましたが、その次の日から祖父の状態が悪くなり、体を起こすどころか起きていることさえしんどくなっていました。
話すこともままならなくなり、ただただ見守ることしかできませんでした。

それから2日後、夜中に病院から連絡があり、母が駆け付け、私も朝に母からそろそろかもしれないと連絡がありました。
私も急いで駆け付け、なんとか間に合い、祖父は私の顔を見るなり口は動いていましたが何を伝えたかったのかは読み取れませんでした。

その数時間後、眠るように息を引き取りました。悲しい気持ちはもちろんありましたが、毎日のようにお見舞いに行き、きちんと祖父と向き合いうことができ、本当に嬉しかったです。

祖父が亡くなって、数日間は実感がありませんでした。この間まで毎日会って、一緒に相撲を見て、文句ばかり言っていた人が写真の中で笑っているということにすごく違和感がありました。現実を受け止められないということではなく、なんだか他人事のように思えました。

そんな祖父の葬儀もあっという間に終わった後に、祖父の亡くなった日にちなど、偶然がたくさん重なっていたことに気づきました。
最後まで数学、数字に囲まれていた祖父らしい最期でした。

 

先日、国語の授業で「美しい」とは何かということについて話し合いました。
「きれい」でも「素敵」でもなく「美しい」とはどんなものか。
私は真っ先に祖父の最期が思いつきました。祖父が最期まで頑張り続けたこと、親戚、家族が全員帰ってこれるときに亡くなったタイミング、私が病院に行くまで待っていてくれたこと。祖父と過ごした時間、そのすべてが今になって「美しかったな」と思いました。

頑固で不器用な祖父でしたが、そんな祖父らしい「美しい」祖父でした。

最後まで熱心に祖父に向き合ってくださった方々、ありがとうございました。

それから、じいちゃん、お疲れ様。ありがとう。

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はる

はる

豊岡市の通信制高校に通う高校生です。小さい頃から福祉の仕事に憧れ、施設の見学に行かせてもらったり、お話を聞いたりしています。旅先でお話することや思わぬつながりが大好きです。自身の体験したことを少しずつ発信できればいいなと思います。

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