今年6月、梅雨入り前の爽やかに晴れた日、
父が空へと旅立ちました。84歳でした。
2年ほど前に胃がんと診断された後も一人で暮らしていた父でしたが、亡くなる少し前からは豊岡病院の緩和ケア病床で過ごしていました。
緩和ケアの病棟の廊下は、看護師さんたちが1つ1つ手作りされた飾りで彩られていて、季節を感じられる空間にいつも和ませてもらっていました。
医師、看護師、患者とその家族というような関係だけではなく、患者であるその人の人生をまるごと受け止めて、最期まで誠実に向き合ってくださる緩和ケアのスタッフさんたち。
そんな皆さんと一緒に父を見送ることができたこと、とても感謝しています。

病室に季節の花を。父は喜んでいませんでしたが…
ずっとお世話になっていた先生が
「お父さんに『人生で一番よかったことは何ですか?』って尋ねたんですよ」と話してくださいました。
それは、私たち家族が尋ねてもきっと答えてはくれなかっただろうし、そもそもそんなことを聞いてみたいとも思わなかった問いかけでした。
そして答えは、仕事人間の父からは全く想像もできない言葉だったのです。
私たち子どものことをそんな風に誇りに思ってくれていたなんて、きっと最初でそして最後の父からの最高のサプライズでした。
私は、理不尽な厳しさの父に対して反面教師で大人になりました。
父が胃がんと診断されてからの約2年間、
ほぼ毎日父の家や病室へ通う私を優しい娘さんだと仰る方もありましたが、私にとっては自分自身が後悔しないための意地のような日々でもありました。
悔いを残さずに父の最期を見届けることができたら、父の赦せなかった部分、自分自身の赦せない部分をもしかしたら受け容れることができるんじゃないかと、そんな気持ちもあったのです。
私に「ありがとう」「気を付けてな」そんなやわらかな言葉をかけてくれるようになった頃から父の体調は少しずつ悪くなっていきました。誰かを頼ることなんてない頑固な父でしたが、入院してからは私の手を握りながら起きたり横になったりを繰り返していました。
ある日の早朝、あまり良い状態ではないと看護師さんからの連絡で病室に駆け付け、父を看取るまでの約6時間の間、父は意識があるようなないようなふわふわとした状態でしたが、私や娘が声をかけると目を開き、口をきゅっとつむぎゆっくりと呼吸をしていました。
きっと私たちに気付いて喜んでくれていたんじゃないかなと思います。
最後の一呼吸までしっかりと生き抜いた父から、私自身も命の尊さを学んだような気がしています。
お別れの日、家族みんなで書いた寄せ書きに、私は父へ100点満点を贈りました。
看取ることができるということは、こんなにも幸せなことなんだと教えてくれた父でした。
お父さん本当にありがとう。
そして、そんな毎日をずっと隣で支えてくれた娘にも大きな感謝を贈ります。
これからもあなたのそのやさしさが誰かの心にポッと灯をともしますように。
長い間、父に、そして私に伴走してくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました。
それぞれの家族にそれぞれの物語があって、楽しいこともたくさんある反面、誰にも言えないような辛いこともあるのかもしれません。
前を向けない日には時々後ろを振り返ってもいいし、どんな気持ちも大切に受け容れながら少しずつ歩いて行けたらいいですよね。
最後に、
反面教師の父だったけれどずっと尊敬していたところもありました。
それは戦争反対を貫いた姿でした。
私は『ふだんのくらしのしあわせ』を大切にすることで、平和な世の中を子どもたちに繋いでゆけると信じています。
戦後の辛い時代に、自分にも他人にも厳しく生きた父とは伝え方は違っても、根っこの部分は繋がっているのだなぁと、ぼんやり考えながら亡き父の初盆と終戦の8月を過ごしていました。
コメント