向き合わざるを得ない現実
母が亡くなってから2年が経とうとしています。コロナ禍での看取りは、落ち着かない状況でバタバタと決めなければいけないことが多く、あれでよかったのかな、、、と今でも胸が苦しくなることがあります。
それは、寝たきりの母に胃ろうをつくったことです。
母は、くも膜下出血の手術はうまくいったものの、合併症を次々に発症し、リハビリを頑張っても、ほぼ全介助の状態でした。
嚥下機能が回復しないことから、療養病院への転院を勧められました。母を遠方の療養病院へ行かせるのは、あまりにもかわいそうで、何とか近くの病院か施設で最期を迎えられないものかと、ソーシャルワーカーさんやケアマネさんに相談をしたり、ネットで検索したりしてみました。
近くの施設に申込みをするなら、胃ろうをつくる手術をしなくてはならないとのこと。母は、元気な頃「延命治療はしない、胃ろうは絶対にしないでね!」と言っていました。
リビングウイルというほど大げさなことではありませんが、両親は共に同じ考えで、私はそれを確かに聞いていました。
母に相談しようにもコロナで面会禁止。たとえ面会できたとしても、母に判断能力はなかったと思います。
そんな状況の中で、胃ろうの手術の相談も説明もできないままその日を迎えてしまいました。母には、何かあればすぐに駆けつけられる近くの施設に入所してもらいたい、それはほかの家族も同意見でした。
母の意思には反するけれど、胃ろうをつくる、というのが私達の出した結論でした。
ところが、その胃ろうをつくる時に胃がんが見つかりました。
そして、母の容態では施設入所を希望しても断られる可能性が高い、とショッキングなことを告げられるのです。
何のために母の望まない胃ろうの手術をしたのか、、、絶望感で打ちのめされました。
患者家族の想いを直接施設の相談員さんにお伝えする機会をいただき、希望が叶えられた時にはホッとしました。
父が施設に入所して、1カ月足らずで、くも膜下出血で救急搬送された母。
本人も私達家族も思いもしなかったことです。救急搬送された病院に約3カ月、リハビリ病院に転院して3カ月、そして施設に4カ月。
この期間は、私達家族にとっては、母のことを思いながら、心の準備をする期間だったのかもしれないと思います。
近くの施設に入所でき、母の旅立ちを娘が揃って見守れたのは、胃ろうをつくったから、、、母も許してくれているのかなぁ…と思いながら、母が望んだ治療を選べなかったことが、やはり心に引っかかってしまうのです。
最期をどう迎えるかを聞いていても、いざその時がくると、見送る側に心の準備ができていないとそれを受け入れることは難しく、心が揺れてしまいます。父の時もそうでしたが、またしても生かされなかったリビングウイルでした。
身近な人の死を通して、自分は、最期をどこで迎えたいか、どこまで医療行為をしてほしいか、自分の思いをつづっておこうと思います。
残された人の心の負担が少しでも軽くなればと思いながら、、、
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貴重なご経験をお聞かせ下さり、ありがとうございました。
訪問看護でリハビリ業務をしています。
看護師やリハ職がACP(人生会議)を聞いてくることがありますが、
重要な決定を含むことですので、揺れて当然で、
何度も聞く必要性を感じています。
でも、転院など期限がある中で決定していかなければいけないことは、
自分の中での整理を待ってくれないですよね。
入院期限が決められている今の制度の難しさだと、勉強させて頂きました。
私の仕事としては、残る命が短いことを知って、退院されて来られる方を目の前にすることがあります。
入院時のACP、期限のある中で決めざるを得なかったACP、もしかすると納得できていないまま決めざるを得なかったACPがあるのかもしれないと
心に留めて、日々努めて行きたいと思います。
ありがとうございました。
おゆみ様
コメントありがとうございます。
素敵なコメントをいただき、嬉しく思っております。
親を見送った後、日々が経過してもまだずっと心に引っかかったままでしたが、おゆみ様のコメントをいただき、少し心が軽くなったような気がいたします。
これからも、お仕事がんばってくださいね!
いただきましたコメント、私もこれからの人生会議の時思い出して、参考にさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。