― 2度と行きたくないボランティアの例
自分のモチベーションのコントロールって難しいですよね。
組織においては更に難しくなります。「配慮」や「想像力」を欠いた上から目線の、一方的な指示により
人が離れていくことはよくあることです。
昔、都会でゴミ拾いの学生ボランティアに参加した時のことです。
今思い返すと、はじめて主体的に参加するボランティアに少し浮かれていたようにも思います。
当日持っていく物リストの中にゴミ袋が書かれていなかったので、念のため自分で買ってもっていくと、
「あぁ、ゴミ袋は環境配慮の観点から使用しないでください! こっちの布の袋にゴミをいれてください!」
(最初に布袋を用意してますって書いといてくれぃ!)
「布の袋は各チームに1つずつあるので。」
1チーム10人に対し1つのゴミ袋。
広範囲にわたる清掃作業でゴミばさみにゴミを挟んだままゴミ袋のところまで持っていかねばならない。
(どれだけ非効率なのか!)
「あっ、ビンや缶はそのままでいいです。今回は燃えるゴミだけ拾ってください。」
(そのままって何やねんっ!)
主催者の学生たちはヘラヘラ笑いながら、楽しそうに笑っている。
「次回は〇月〇日(〇)の〇時からです~。よろしくお願いします~。本日はお疲れ様でした~。」
・・・「2度と行くかぃ! 自分ひとりでゴミを拾った方がマシだわ!」
と心の中で叫んだ・・・。
その時は感情にまかせて、ひとりでゴミ拾いをしようと思ったが、数日たってもできなかった。
日常に忙殺されてしまった。意識が薄らいでしまった。
結論、自分ひとりでゴミはなかなか拾えないのです。
そして決めたことを実行できない自己嫌悪のループに悩まされる。
いつの間にかボランティアへのハードルが上がっている・・・。
― とよニコの役目
と、まぁ少し大袈裟に書きましたが、これに近い経験って皆さんありますか?
赤子がハイハイからの一歩目をすくわれるような体験。
そこで感じた哀しみや悔しさを乗り越えられる精神論や手法論が欲しいけれど、まだ思いつかない。
勉強や経験が足りない。
おそらく自分に、わかりやすい福祉(親の介護など)が関係してくると、主体的にとらえられるのだろうけど、
気づいた時には遅いことだってある。
もっと予備知識があれば、もっと福祉に詳しい人と仲がよかったら・・・
もしかして自分の愛する人をよりよく助けることができたかもしれない。しかも簡単に。
それが豊岡市福祉情報サイト とよニコ の役目の一つなのかなと思います。
- 伝える表現の方法
ということで、僕と同じく福祉にあまり関心がない方に読んでほしい話があります。
「これくらいのハードルなら乗り越えようよ」と自分で思えるくらい、たくさんの方に共感していただきたいです。
共感が少ないようでしたら、自信もないので、もう自分自身の考え方を変えるしかないと思っています。
『小学生の時の近所の障がい児と僕のかかわりの中で、純粋な僕が傷ついたという話』です。
一生懸命に助けてたつもりが、誤解を招き、結果僕が怒られるというオチです。
しかし、上記のような小話で皆さんの共感を得るのは無理だと思っています。
もしかしたら、そもそもあまり関心のない誰一人の心にも残らないかもしれない。
一体どうすれば伝わりやすいのか?
もちろん内容が興味深く、面白くないといけないだろうけど、
何せ福祉の経験が浅いので、皆様の興味を引けるほどの話はない。
(取材をしたいが、コロナ禍のこの状況では厳しい・・)
ならば、ストーリー性を強化したり、今まで無かった切り口で攻めるとか何かがないと、
福祉に興味ある人だけしか対象にならない。
これだとインクルーシブどころか、偏ってしまってポータルサイトの意味も薄くなってしまう。
ということで次回は、 僕の子どもの頃の体験を物語にして展開する予定です。
果たして共感は得られるか? できればコメントでご意見を教えてほしいです。
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