ちょっと大げさですが、私たちは、日々決断をしながら生きています。
年を重ねると、身体機能だけでなく、認知機能の低下から判断能力も衰え、
自分で決断できなくなることもあります。
そのために必要なのが、シニアの備え「エンディングノート」です。
準備されていますか?
私はまだです。
考えていることはあっても書き残すまでには至りません。
私よりも先に必要になるのが、両親です。
認知症の父の運命の決断を迫られたある日・・・
父が救急搬送されました。
この状況下ですから、付き添うことはできません。
医師から、生命にかかわるため即入院、集中治療室での治療の説明を受け、同意を求められました。
でもそれは、
「延命治療はしない」と言っていた父の意向に沿うものではないと思い、一瞬迷いました。
医師から他の治療方法は考えられないと言われ、同意をしました。
父の思いを聞いていたのに、
それよりも父に生きてほしいと思う気持ちの方が勝ってしまいました。
父の人生の大きな決断を、私たち子どもが変えてしまったことを気にするも、後悔はありませんでした。
ところが、しばらくすると、
意識のある父が暴れて治療に進めない、と医師から告げられます。
認知症の父は、医療スタッフの懸命の治療も訳が分からず、ずっと暴れていたようです。
最終的に、投薬治療しか選択できないこととなり、
車椅子で私たちの前に現れた父は、自由の身になれ笑顔でした。
介護タクシーの運転手さんに車椅子を押してもらい、
私たちのことは気にも止めず先に病院を出ました。
その翌日、私たち子どもは父の延命措置や今後について再確認し合いました。
父の治療妨害は、認知症の父にできる唯一の意思表示であったと思えました。
後悔しない人生の選択や決断、難しいですね。
一人で抱え込まないで、みんなで話し合い、最善と思える決断ができれば、どんな決断をしても
後悔が少なくなるのではないでしょうか。
一度は生命の危機を宣告された父は、穏やかに日々を過ごしています。

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