親の看取り、考えたくないけれど、確実にやって来るその日。
コロナ禍の頃、施設で両親の看取りを経験しました。
納得した看取りだったかどうかで、親を失ったことへの喪失感や、自分の心の立て直しに大きな違いがあると感じました。
看取りが納得できたかどうかは、「家族が寄り添える時間があったかどうか」、そして、看取る側が「やり切った」と思えるかどうかが大きく影響するのではないかと思います。
父の場合
コロナ禍で施設での面会はほぼできない中、会えるのは病院受診の日。
日に日に衰えていく父を見て、そろそろ看取りの時期を予感していました。
看取りの時期には、前もって申請した家族が、看取り部屋で父との最期の時間を迎えられると聞いていましたので、そのつもりでいました。
でも、コロナ禍で施設の看取り対応が変わっていたようです。
そしてそれが施設利用者家族に共有されていなかったと感じました。
父との面会が許されたのは、父が亡くなる前日の数時間と亡くなる寸前でした。
こんな時だから仕方ないよね!と納得せざるを得ない看取りでした。
呼びかけてもほとんど反応のない父に、たぶんまだ耳は聞こえていて、私達の声は聞こえているはず、、、と思いながら声をかけ、短い時間しか寄り添ってあげられななかったことが、心残りでした。
母の場合
父が旅立ってから1か月半…
介護施設の相談員さんから、「嘱託医からお話があります」と連絡を受けました。
母の終末期ケアのことであろうと直感しました。
柳まつりの日、暑い夏の日の午後のことでした。
嘱託医から、「お盆は越せないかもしれませんね…」と告げられました。
そして私は、終末期ケアについての説明を受け、同意書にサインしました。
苦痛を取り除き、穏やかに最期を迎えたいという希望通りの内容でした。
この日から、母の経管栄養はストップされました。
栄養注入後は、ゴロゴロと音がして、痰を除去するための処置を涙をためながらしていただいていましたが、もうゴロゴロはなくなり、痰の除去はしなくてよくなりました。
施設ベランダからの面会入室が許可され、「できる限り会いに来てあげてください!」と言っていただきました。
同意書サインの日から約1週間、この期間に母は会いたい人、私達が会わせてあげたいと思う人に会うことができました。
父の時は、あまりにもあっけないお別れが心残りで、いつまでも引きずっていましたが、母の看取りは、そばで声をかけ続けられ、伝えたいことも伝えられ、母の最期を見届けられたという納得感で、父の時の無念も晴らせたような気がしました。
病院でも、施設でも、在宅医療でも看取りに正解なんてなく、それぞれの家族にそれぞれの看取りがあると思います。
置かれた状況の中で納得できる看取りができるよう、話し合いや事前確認が大切だと両親の看取りを体験して感じました。
これはあくまでも私の場合ですが、納得のいく看取りができたら、介護や看取りに関して、自分のことも他者のことも責めることなく穏やかな気持ちで親の最期を受け止められるように思いました。
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